健康は「楽しい食卓」から始まる
『日経ヘルス』『日経ヘルスプルミエ』の元編集長で、現在も食品関係を中心に多方面で活躍される、健康医療ジャーナリストの西沢邦浩さんを迎え、「食と健康」についてデータに基づいた情報を発信します。今回のテーマは『楽しい食卓』。食事を楽しむことで寿命がのびる!?
2022年1月
健康医療ジャーナリスト 西沢 邦浩
皆さんは、食事をとりながらどんな会話をすることが多いですか? 食事が楽しい時間になるよう毎日心がけている、という方はどのくらいいらっしゃるでしょう?
コロナ禍が始まる少し前(2019年10月1日付)に、『朝日新聞』巻頭ページの名物コラム「折々のことば」に記された、筆者の哲学者・鷲田清一さんの文章に引き込まれました。
「人は世界との関係を口で吟味する。それが快いと、食事は美味しく、会話は弾み、心ゆくまで歌い、口づけもするが、不快だと、食欲も言葉も歌も失い、人との接触にも怯える。人の幸不幸は口に集中する」という文章でした。
能芸評論家の戸井田道三さんの著書『食べることの思想』(筑摩書房)の中の一文をこの日の言葉として引きつつ、記された文です。
私たちは、口から生きるために必要な食事をとり、また同時にコミュニケーションに必要な言葉を紡ぎます。つまり、ヒトとして生きるために欠かせない「食べること」と「話すこと」を同じ場所=口を通して行っているのです。
だから、気の置けない人と直接会い、食事をしながら会話を楽しむ時間は、口が媒介となって心にも体にも美味しい至高の時間になるんですね。
しかし、コロナ禍は友人・知人たちと「楽しく話しながら食べる」という機会を私たちから奪うことになりました。
一方、逆に家族と一緒に食卓を囲む機会が増えた方は多いことでしょう。改めて家族と近しく過ごす時間はどうでしたか? この場があってよかったと再認識できたでしょうか? まだまだこの感染症の風向きが定まらない時だからこそ、食事をする時間を共有する意味について少し家族で考えてみませんか。
もちろん、おひとりで過ごされている方にとっても、食事時間をどう過ごすかは重要です。
楽しく食べる食事では血糖値が上がりにくい
結論からいうと、食事をする時間は楽しく、ということに尽きます。
幸せ度の高い楽しい食事をする人や家族ほど健康という報告がいくつもあります。そして、総じて幸せ感が高い人ほど長生きでもあるようです。
2011年、著名な科学雑誌『Science』に「Happy People Live Longer」と題されたレポートが発表され、幸福度が寿命にポジティブな効果をもたらすことが示されました。先進国のデータを分析したところ、幸せな人は約7.5~10年寿命が長いという結果に。ほぼ同じ生活を送っている尼僧でも、幸せだと思っているかどうかで約7年寿命に差がありました。2018年に発表されたシンガポール人の研究でも、幸福度が高い人の死亡リスクは低い人より19%も低かったのです。
幸福度を高める要因はいろいろでしょう。しかし、必ず毎日過ごす時間、そして先に触れたように、“幸不幸が集中する”口が全方位的に関わる食事の時間の在り方は、幸福度に大きく影響を与えるのではないでしょうか。
以前、筑波大学でおもしろい実験が行われました。
食後の血糖値が上がりやすい2型糖尿病の患者19人(16人の男性と3人の女性)が集まり、同じお弁当(500 kcal)を食べてその後の血糖値変動を見たのです。
ただし、1回目は食事とともにつまらない講義を聞き、2回目は漫才を聞いて大いに笑いました。すると、血糖値の上昇度合がまったく違ったのです。つまらない講義の後では血糖値がぐんと高まったのでした(下グラフ)。
●楽しく笑いながら食べると血糖値は上がりにくい
食後に血糖値が急上昇することが繰り返されると、血管を傷めたり、余った糖が細胞に脂肪としてたまり肥満を促進するといったダメージにつながる恐れもあります。食後の血糖値上昇は緩やかなほうがいいのですね。
この実験結果をまとめた論文では「笑いという前向きな感情が神経内分泌系に作用して、血糖値上昇を抑制した可能性がある」と考察していますが、実験を企画した著名な先生(分子生物学者の村上和雄先生)に直接取材したところ、背景についてこう話されました。
「ご飯を楽しく笑いながら食べれば血糖値はゆっくり穏やかに上がりますが、口論をしたり、同席している誰かを叱ったりするような環境で食べるとみんなの血糖値が上がり、それが繰り返されると健康を害する原因になる――。このような食事の仕方の大切さを確かめたかったのです。実際、笑いながら食べたときには、細胞の活性を高める約50個の遺伝子のスイッチもオンになっていました」
食事の場での夫婦喧嘩やお子さんを叱ることなどみんなの気持ちがささくれ立ったり、暗くなる会話や行為は避けるのが賢明ですね。やはり食事の時は楽しい話題に限ります。
一人で食べるときは、楽しくなる映画や番組を見たり、音楽を聴いたりするのがいいかも。忙しいとつい食べながら仕事を続けてしまう人もいると思いますが、食事の時間は大切なリラックスタイム。忙しい時こそ、ちょっと手を止めて食事を楽しみましょう。
食事は楽しくとってこそ、健康な心身を培う養分となってくれるのです。
ちなみに、「同じ食事でも、おいしいと思って食べたときと、まずいと思って食べたときでは、まずいと思って食べたときの方が太りやすい」というユニークな実証実験をされていた先生もいます。日本のスポーツ栄養学の嚆矢のお一人・鈴木正成先生です(この方も筑波大学に在籍しておられました)。
楽しく食べることと同じくらい、感謝の気持ちを持ち、おいしくいただくことも大切です。
幸せ感が増す食べ方、食品はある?
不機嫌に食べることで血糖値が上がることは健康にマイナスですが、さらに食後高血糖自体も「不機嫌」を招く危険性があります。
つまり、心理状態に関係なく血糖値を急上昇させる食品をたくさん食べることはできるだけ避けた方がいいのです。砂糖や清涼飲料などに使われる液糖、精製された白米や白いパンなどすぐに吸収される炭水化物を一気にとるといった食べ方です。
どうして、こうした食べ方が「不機嫌」の元になるのかを下の図で説明します。
図の赤い線のグラフが食後高血糖を招く食べ方を繰り返したときの血糖値の変動パターンです。
①食事で血糖値が上がると、血中に増えた糖を脂肪細胞や筋肉に送って血糖値を下げるためにインスリンというホルモンが出てくる。
②大量に糖が入ってくるとインスリンもたくさん分泌されるので、今度は急激に血糖値が低下する。
③血糖値が急激に低下すると、イライラしたり、うつうつしたり、攻撃的になるといった不機嫌な心理状態になるリスクが高い。
こんな仕組みで、血糖値を一気に高める食事自体は気分をブルーにします。さらに急激に血糖値が下がると脳から「糖をとれ」という指令が出るため、再び甘いものが食べたくなり、ジェットコースターのような血糖値変動が繰り返されることにもなりかねません。
やがて、肥満や糖尿病のリスクまで高まることに。
●食後高血糖と正常な血糖状態の概念図
では、血糖値が急上昇しないようにするにはどうしたらいいのでしょうか。
まず、前述したようなどんどん消化吸収される糖質を一気に食べたり飲んだりするのを避けるというのが一つ。
もう一つは「ベジタブルファースト」、つまり白米のような精製された糖質食品に箸をのばす前に、血糖値抑制作用を持つ食物繊維を多く含む野菜類を最初に食べること。納豆や海藻類のように食物繊維が多くネバネバした食品や酢の物などを食事の最初にとるのも効果的です。
野菜や果物の摂取量が増えるほど、幸福感、人生の満足度が高まる――。こんな結果が出た、1万2000人以上を対象に行われたオーストラリアの研究があります。野菜を食べること自体が幸福感につながるというのです。
さらに18の研究をまとめて分析し、「野菜や果物の摂取量が100g増えるごとにうつ病のリスクが5%づつ低下する」と結論付けた論文もあるので、ある程度確かだと言えそうです。「ご機嫌」になる詳しい理由は明らかになっていませんが、野菜や果物に多い各種の抗酸化物質が脳を酸化から守るのが一因ではと考察されています。
私も新鮮な野菜や果物を食べるとその瞬間に爽快感を感じることがありますが、本当に幸せ感が増す食材だということになると、ベジタブルファースト効果も含め、「一石二鳥の幸せ食材」と言えそうですね。
こんな食べ方をしているうちに、自然に食卓に笑顔があふれるようになっていくと素敵だなと思います。
そして、「いただきます」「おいしいね」「ごちそうさま」「ありがとう」と、“幸せが集中する”口をしっかり開いて言葉にし、食事の時間をともに過ごせたことを喜び合いましょう。
生きるためだけでなく、かけがいのない楽しい時間を共有できることこそが、私たち人類ならではの食事の意味なのですから。
西沢邦浩
日経BP 総合研究所メディカル・ヘルスラボ客員研究員、サルタ・プレス代表取締役
小学館を経て、91年日経BP社入社。開発部次長として新媒体などの事業開発に携わった後、98年「日経ヘルス」創刊と同時に副編集長に着任。05年1月より同誌編集長。08年3月に「日経ヘルス プルミエ」を創刊し、10年まで同誌編集長を務める。18年3月まで、同社マーケティング戦略研究所主席研究員。同志社大学生命医科学部委嘱講師。
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