よく噛むことは全身の健康につながる

『日経ヘルス』『日経ヘルスプルミエ』の元編集長で、現在も食品関係を中心に多方面で活躍される、健康医療ジャーナリストの西沢邦浩さんを迎え、「食と健康」についてデータに基づいた情報を発信します。第8回目は、噛むことと健康の関係について言及します。噛むことの大切さを見直すきっかけになるはずです。

                                     

2021年 5月

健康医療ジャーナリスト 西沢 邦浩

 湯気が上がる、炊き立てのほかほか白米ごはん。おいしく幸せな気持ちになれますね。             

 その一方で、「元々日本人は米を蒸して強飯(こわめし)として食べたり、生米も噛み砕いて食べていた。だから、米を柔らかくして食べるようになった今、米噛(こめかみ)はどうなっていくんだろう」と、食生活が豊かになりつつあった明治大正時代に、民俗学者の柳田国男が柔らかい食が広がることに心配を吐露しています(『明治大正史世相編』より)。                         

 さらに、「鹿や兎といった肉、魚や貝も昔の日本人は煮炊きもせず、干してそのまま食べていた」とも記します。私たちの祖先は、よく噛むことで米噛をしっかり動かしていたんですね。                          

 今日では、明治大正期とは比べ物にならないほど、柔らかく食べやすい食品が多くなっています。だれでもおいしく食べられるのは素晴らしいことですが、それによって噛むことがおろそかになったら問題も生じます。                        

 歯を守る活動を行っている「8020推進財団」は、噛むことの8つの効用を、頭文字をとって「卑弥呼の歯がいーぜ」という標語にしています。                               

 「ひ」肥満を防ぐ、「み」味覚の発達、「こ」言葉の発音がはっきり、「の」脳の発達、「は」歯の病気を防ぐ、「が」がんを防ぐ、「い」胃腸の働きを促進、「ぜ」全身の体力向上と全力投球の8つです。                     

 噛むこと自体はもちろん、噛むほどに出てくる唾液やそれに含まれる免疫物質やホルモン様物質などにも広い効用があるわけです。                            

噛む力が低いと病気リスクが高まるだけでなく、ウエストサイズにも影響?                             

 噛む力は生きる力なんだ、と思わせる日本人を対象とした研究があります。             

 新潟に住む70歳の男性282人を13年間追跡したところ、最大咬合力(力いっぱい噛んだ力を測定)が低い男性は、すべての原因による死亡リスクが高かったというものです。2016年に「Journal of Oral Rehabilitation」という学術誌に発表されました。            

 今や日本人の国民病ともいえる糖尿病でも、噛む力が高く、ゆっくり食べる男性ほど、有病率が低かったという結果が出ています(下図)。これは、滋賀県に住む男性2283人を調べた研究。                            

噛む力があり、ゆっくり食べるほど糖尿病のリスクが減る


(データ:PLoS One. 2013 Jun 5;8(6):e64113.)                     

 この二つの研究ではどちらも、女性では男性のような有意差が出ませんでした。                 

 だからといって女性は安心などということはあるはずがありません。女性の皆さんも、しっかり噛んで食べて健康維持に努めてくださいね。                            

 一つ、どちらかというと女性に耳寄りな情報をお伝えしておきましょう。                     

 それは、硬いものをよく食べている女性のほうがウエストが細かったという研究(下図)。18~22歳の日本人女性454人の食事調査を分析した結果です。この研究だけで、しっかり噛めばウエストが細くなる、とまでは断言できませんが、よく噛むことは脳の満腹中枢を刺激するので食べすぎを防ぐ作用があるのは間違いありません。                       

硬いものを食べている人ほどウエストが細い


(データ:Am J Clin Nutr. 2007 Jul;86(1):206-13.)                      

 もちろん、男女に関係なく、よく噛むことで「メタボリックシンドロームの有病率が下がる」「脳機能障害のリスクが下がる」といった研究は、多々あります。                          

 最近、噛むことが脳にいい仕組みの一つが解明されました。                      

 噛むことはウォーキングと同様、認知機能に大切な脳のマイネルト神経細胞という部位を活性化し、大脳皮質で血流量が増加するというのです。                            

 天気が悪く運動ができない日は、せめてよく噛むことを心がけてはいかがでしょう。

                                              

なにを食べるとよく噛める?                     

 では、どんな食品を取り入れていったらよく噛むことができるのでしょうか?                    

 食品の物性とヒトが噛んで測定した咀嚼筋活動量を元に作られた『食物たべごたえ早見表』というものがあります。和洋女子大学家政学部健康栄養学科の柳沢幸江教授らが作ったもの。興味を持った方は、これが掲載された書籍などで確認していただきたいと思いますが、ざっと、この表から噛み応え度が高い食品を挙げてみましょう。                    

1~10までの10段階で評価されており、数字が大きい方が噛み応えのある食品です。                           

10:さきいか、みりん干し(焼)、たくあん、ニンジン(生)

9:セロリ(生)、豚ヒレ(ソテー)、豚モモ(ゆで)、牛モモ(ソテー)

8:イワシ(佃煮風)、油揚げ、キャベツ(生)、乾パン

7:ピザ皮、鶏モモ(蒸、ソテー)、イカ(生)、大根(生)、白菜(漬物)、凍り豆腐、干しぶどう、かりんとう

動物性の高たんぱく食材の乾物、脂肪が少なく肉質が硬めの部位の調理品、セルロースが多い野菜の生や漬物といった顔ぶれです。

 やはり、柳田国男も触れていた乾物類は水分が抜けている分、噛み応えが度が高いですね。                         

 せっかくなら、こうした食品をおいしく食べて、さらに健康効果も上げたいところ。                            

 乾物普及を目指すユニット「DRYandPEACE」(https://www.dryandpeace.com/)が、興味深い提案をしています。                          

 乾物をヨーグルトで戻して使おうというのです。乾物が戻るときにヨーグルト成分を吸収して、乳酸菌類、たんぱく質、カルシウム、カリウムなど健康維持に欠かせない栄養素がぐんと増えるうえに、おいしさも増します。                           

 こんなちょっとした工夫をして、噛み応えのある食品をさらにおいしくし、健康的に楽しみましょう。 

                                        

西沢邦浩(にしざわ・くにひろ)

日経BP 総合研究所メディカル・ヘルスラボ客員研究員、サルタ・プレス代表取締役
小学館を経て、91年日経BP社入社。開発部次長として新媒体などの事業開発に携わった後、98年「日経ヘルス」創刊と同時に副編集長に着任。05年1月より同誌編集長。08年3月に「日経ヘルス プルミエ」を創刊し、10年まで同誌編集長を務める。18年3月まで、同社マーケティング戦略研究所主席研究員。同志社大学生命医科学部委嘱講師。